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曾丹と安吾

思うところあって坂口安吾全集をパラパラと読み返しました。

安吾の作品の中で私が「最も美しい」と信じている
『紫大納言』を読んでいるときに、

高校生の頃を鮮やかに思い出し、
なんともいえない気分になってしまったので、思うまま記します。

(ただいまかなり酔っぱらっているので、乱文御免)


私が百人一首で一番好きな歌人は曾禰好忠、
通称・曾丹(ソタン)です。


高校1年生のときに初めて百人一首を通して読み、


「由良の渡を わたる舟人 かぢをたえ 行方もしらぬ 恋の道かな」


に触れたときの衝撃は忘れられません。
和歌を詠んで鳥肌が立ったのはこれが最初です。

この美意識。ショックでした。 それから、ずっと好きです。


この歌の一節が、『紫大納言』にも出てくるのですね。


天女への恋に狂った大納言に、猿のような童子が繰り返し、
手を叩き、踊りながら笑いさざめくのです。


「行方もしらぬ恋のみちかな」


「行方もしらぬ恋のみちかな」


「行方もしらぬ恋のみちかな」


・・・・・・。


幻想的なシーンに漂う真っ暗な迷いに身震いしました。

天女に対する、手に入らない月を仰ぎ見るような憧れ。狂おしさ。
恋獄の月はなんと冷たく、冴え冴えしく、美しいのでしょう。

月。 ムーニー。ルナシー。ルナティック。

坂口安吾に出会い、貪り読んだのもまた、高校1年でありました。

曾丹と安吾の出会いによって、
恋というものはデートやらときめきやらではないらしい、と
子どもだった私はなんとなく了解しました。


きらきらした甘いものではなく、
『紫大納言』や百人一首や、太宰治の『駆け込み訴え』
のような世界なのだと思ったのです。

(百人一首はともかく、ちょっと偏ってる気もしますね。)

紫大納言は恋情の果てに我が身は一掬の水となって消え去り、
『駆け込み訴え』のユダは端金で恋着する人の命を売り払う。

逆の行為は、しかし、私には同じことに思えました。

たぶん、これが恋というものなのだろう。
高校のころ、漠然とそう感じ、強烈な魅力と恐怖を覚えたものです。

・・・ただ、狂恋こそが恋の至極であると、

わけのわからない、

「かぢをたえ」るもの、

「陸奥のしのぶもぢずり」のように乱れるもの、

「あやめも知らぬ」ものが恋であると、

漠然と捉えたものが間違っていなかったことは、
私の人生が、あるとき証明することになります。

(高校生のときにもカレシはいたんですけどね、
それは高校サロンの社交というか…恋ではなかったから)


狂恋が私の人生の軸を1度、大きくねじ曲げました。

24才、1度目の結婚がほぼ終わり、しかしそれを「公表するな」と
親兄弟からストップがかかっていた頃のこと。

お互いに、世間的には「公式な恋愛」ではなかった。


あの圧倒的なパワー、陥ったものにしかわからない空気、
踏みしだかれる心と身体、ばらばらに引きちぎられるような痛み、

そして、極上の麻薬を打たれたような、甘美な快感。


体重が減り、友人が減り、仕事が減り、
それでも私はかつてない幸福で全身が痺れていました。
こんなを書くほどに。


「誰に許されたいっていうの?
人をバカにしないで!」


胸ぐらつかんで、私が実際に言ったセリフです。
(恥ずかし気もなく! さすがに今は相ッ当に恥ずかしいがな)


あのときあの人が望んだならば、私はこの盲亀浮木の身命を
ミノタウロスの皿の上に喜んで投げ出したと思います。
テセウスを待たないままに。


ひとことで言えば、「どうかしていた」。


最近、「…どうかしてることを恋というのよ」 というセリフを
姫野カオルコの「ツ、イ、ラ、ク」で読んだときは、

ああ、そう、
そうだった、そうだったな…と、激しく共感したものです。


別れるときも一波乱ありました。
その相手が今、どこでなにをしているのか、まったく知りません。


あの時から遠く隔たって、こうして王子と穏やかな家庭を築いて。


二度と繰り返したくないと思いながら、ふるさとのように懐かしく、

一度で充分だと苦く笑いながら、安吾を読むたびに胸が痛みます。


もし、神さまから
「ひとつだけ記憶を取っておいてあげよう。
あとはぜんぶ失わなくてはいけないよ」 と言われたら、

あの、濃密で狂っていた半年を選んでしまうかもしれません。

いや、さすがにそれはないか……それでも、
愛惜してしまうと思うのです。

王子とは一生いっしょにいる、別れたくない、と思っていますし、
それに嘘はないのですが。

今の軸で比べたならば、比較にならないくらい王子を愛していて、
昔の相手のことなんて、悪いけど顔が思い浮かばないくらい
どうでもいいのですが。

それでも、愛惜してしまう。
私は水になれなかったから。


私は紫大納言にはならなかった。

一掬の水の中に溶けたりはしなかった。


こうして、したたかに生きているんです。


高校生のときと同じように、何かに憧れたままに。


はは。 くだらない感傷ですが、そういうことなんだと思います。



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