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映画 「故郷の香り」

下高井戸シネマ火曜レディースデーにて行ってきました。

レディースデーとかレディース割引とか聞く度に
「レディース……女暴走族…」という連想につかまります。

ここの会場のおばちゃんみんなレディース!みたいな。


ぜんぜん関係ない話でしたね。すみません。「故郷の香り」です。

あらすじ省略。すじというすじはないのです。
ヤマとかオチとかあるタイプの映画じゃないので。

いちお、軽く説明。

 大学を出て北京の役所に勤め、結婚もした主人公ジンハーは、
 10年ぶりに故郷(そらもう、ファンタジーなくらいド田舎)に帰省し、
 道の途中で、ばったりと初恋の人ヌアンに行きあう。

 ヌアンの顔を見た途端、ヌアンに後ろめたくて10年も故郷に帰れなかった
 ことに気付くジンハー。
 「町にお嫁にいった」というウワサを聞いていたのに、実際にはヌアンは、
 耳が聞こえず口の聞けないヤーバ(無学、貧乏、乱暴、無愛想)の
 ところに嫁に行き、泥まみれになって働いていた。その表情は、暗い。

 請われるまま、ヌアンの家に行き、食事をともにするジンハー。
 そこから、ジンハーの回想が始まる。
 無邪気に遊んでいた時代、ずっと都会を夢見ていたヌアン、ヌアンの
 果たされなかった初恋、いつしかふたり思いを通じ合わせたこと、思わぬ事故、
 そして都会の大学に進学することになったジンハーが、「迎えに来る」と
 約束したままヌアン捨て、忘れてしまったこと……。
 あれからヌアンは幸せだったのか?
 自責の念に苛まれたジンハーは、ついにひとつの真実にたどりつく。


「山の郵便配達」の監督フォ・ジェンチィが贈る素朴な感動!!
という前評判でしたので、厚めのタオルハンカチを持って行きました。

なのに。

まわりの人たちみんな泣いてたんですけど、ぜんぜん泣けず。


基本的にはアレです、
「こっいーびとーよー♪ ぼくはっ たーびだーつー♪」
という例の構図です。

男は都会へ行き、マメだった手紙も途絶え、新しい人生を謳歌。
大学に残って、教師になったインテリの妻を持ち、幸せいっぱい。
女は待ちぼうけをくわされた末に、本意でない結婚をし、
あれほど憧れていた街に行くこともなく、村での生活に疲れている。


映画は、ジンハーが故郷に久しぶりに帰ってきたところから始まります。

ジンハーは、薄幸な顔をして働くヌアンに、思わず
「もっとふさわしい人はいなかったの?」なんて言っちゃいます。
いやあ、あんたが言っちゃダメだろう。
(でも、これは監督も「わかってて言わせてる」ので、オッケーです)


もしヌアンが(捨てた女)が幸福そうに晴れ晴れ迎えてくれたら、
忸怩たる思いが晴れて、一点の甘い感傷とともに
「君も幸せそうでよかった…」という結末になるんだろうけど、ね。
明らかに暗い表情だから。老け込んでるから。

ここからジンハーのどうしようもない懊悩が始まります。

恩師は、「もう10年も前のことだ。迎えに来たからと行って
うまく行ったとは限らないんだから悩むでない」と言ってくれるけど、
実際に不幸そうなヌアンを見るとジンハーはつらくなっちゃう。
気持ちはわかります。うん。


わかるんだけどさ。


ラスト、ジンハーは北京へと戻ります。

そのとき 「僕は君を忘れたんだ!」 とヌアンに懺悔したジンハーは、
ヤーバ(ヌアンの夫) から、手話で、
「ヌアンも娘も、おまえが北京に連れて行ってしまえ!」と、泣きじゃくりながら
訴えられたことで、ヤーバの、ヌアンに対する大いなる愛
胸を打たれてしまいます。
(※映画館では、ここで号泣する人、多数)

で、感激したジンハーはどうしたか。

ヌアンの娘に「大きくなったらおじさんとこで勉強しようね」とお愛想を言い、

「人は誰もが懺悔の機会に恵まれるものじゃないのに、僕はそれができた」
と、なんだかスッキリしやがるのです。


えええっ?? そ、それでいいんですか??


「誰もが初恋の人と結ばれるわけではないのに、
ヤーバはヌアンに一途な愛をささげて結ばれた。

いついかなるときもヤーバはヌアンを愛し続けるだろう。
だから ヌアンは幸せなのだ


このような主人公の蛇足な独白で、映画はエンド。つまり、


  ヤーバはヌアンを愛してる
     ↓
  愛されてるヌアンは幸せ
     ↓
  だから、俺が捨てたことは不問でヨシ! すっきり解決!


というラストなのさ。 ちょっと待て。マテマテマテ。


要するに、あれか。
女は愛されるのが一番しあわせ、と言いたいわけか。


世間の通説ではあるのでしょうが、愛されることが一番の
しあわせとは限らないと、都会で働く今の私は知ってしまってます。

人間は器ではないのだから、他人の感情だけで満たされる
ことなど有り得ないのです。そのことに、男も女もありません。


ずっと街に出たくてたまらなかったヌアン。

歌がうまくて華やかで、鄙には希なる美しい容姿を持ち、
いっぷう変わった考え方をする、都会的な自我を持つヌアン。

事故で足を悪くしてからは自ら都会に出ることができなくなり、
強がりながらもジンハーの約束を待って待って、

ジンハーからの唯一の贈り物を今も大切に抱えている、
思い出とともに生きている、ヌアン。


ヤーバよりジンハーの愛が薄くても、
村人総出で見送った「大学出」の、希望の星であるジンハーに
都会に連れ出してほしかったよね、
それは単なる恋の成就以上の、きらきらしい何かだったんだよね。

「私は不幸ではない、愛されているからいいんだ」 と
自らに言い聞かせながら、どんどんかたくなな表情になっていく
あなたのことが、私にはよくわかるよ。


誰も悪くはないのです。
ヌアンを忘れたジンハーも、無茶をしてヌアンを手に入れたヤーバも。

だから、迎えに来なかったジンハーを責める気持ちは
まったくありません。
そんなの、言葉は悪いけど「忘れて当然」だと思うし。


私が憤ろしいのは、ただ一点。


「私なら平気よ、子どもがいるから……」
そんなセリフをうつむいて寂しくつぶやく女が、「愛されているから幸せ
なのだと、この主人公が本気で思ってしまうところです。


その、度し難いおめでたさ、鈍感さ。

腹が立った後に、ふと苦笑してしまいました。

まあ、男というのは、こういう考え方をするのかもしれん。


ジンハーとヤーバ。
ふたりの男の勝手な思惑と懺悔に、ぐちゃぐちゃに踏みしだかれるヌアン、
怒りを表明することすらろくにできず、鬱屈する「なにか」を言葉にする術も、
解決の糸口もなく、このままここで老いていくのだろうヌアンを、

サディスティックに鑑賞することができる方には、おすすめです。


どっかのフェミな団体から苦情来ないのか、この映画。



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