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よかった

ふと、王子のことを、愛しいと思うときがある。


鏡に残された、歯磨きの飛沫。

ブラシに残った髪の毛。

しっとり濡れたTシャツの重さや、枕に残った汗の跡。

爪の破片の硬さ。


朝、いってらっしゃい、と送り出した後に残る、王子の断片。


その中で、私は仕事をする。ものを食べる。
昨日の夕刊をめくる。本を読む。窓をあけたてする。


恋しいわけではなく、会いたいと焦がれる思いもなく、
けれど、私はここにいていいのだと、ここにいれば大丈夫だと、
満たされたまま。


あの、王子の残していく控えめな断片はまるで、
家に結界を張るための呪具のようだ。


胸の内に湯が広がるような思い。
宗教心のない私にも、敬虔な気持ちになる瞬間が与えられる。


永遠を信じたいと思えるのなら、それはひとつの幸福ということ。


王子である必要はないのかもしれない。
王子でなければダメなのかもしれない。


だけど、会えてよかった。
と、思える人に出会えてよかった。


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01_ 夫婦善哉」カテゴリの記事

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