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恋愛小説

 
 伸び上がって彼女が言う。抱き締めて。僕はくすぐったい気持ちで
そっと手をまわす。起きがけの夢は甘い思い出。なくしてしまった恋の話だ。


 僕の彼女は消しゴムだった。夢の中で彼女は優しい。まえと同じよ
うに美しく、突然の僕の抱擁に泣き出しそうな顔をする。可愛い。可
愛くて可愛くて、僕は彼女を肌身離さず連れて歩いた。彼女は肉の
厚い、いい身体をしていて、それも僕は気に入っていた。


 彼女、どうしてる? お前、気を付けた方がいいよ。友人たちは、僕
によくそう忠告していた。彼女はお前が思っているよりずっと脆くて繊
細なんだぜ。消しゴムってのは、使い続けてると減ってしまうもんなん
だ。
 僕は鼻で笑った。そんなことないよ、彼女は今までのどの消しゴム
よりも丈夫でよく肥ってる。そういう君は、消しゴムを最後まで使ったこ
とがあるのかい?

 友人は少し考えてから、いや、ないな、と答えた。たいていは薄汚れ
て小さくなってきた頃に、どこかになくしてしまうんだ。小学校の教室の、
節目だらけの床に吸い込まれるように消えちまったやつ、誰かに貸して
そのまんまになったやつ。
 僕らはひとしきり過去になくしてきた消しゴムについて話し合った。そ
して僕はこう締めくくった、僕は彼女から目を離したりしない、まして人
に貸したりするもんか。友人はそれでも気遣わしげで、僕はちょっぴり
プライドが傷ついた。消しゴム一個扱えない男だなんて、ばかにするな
よ、ってね。


 私、みすぼらしくなっちゃったみたい。ある日、彼女は呟いた。そうかなあ、
と僕はいい加減に返事をする。確かに彼女は痩せてしまったし、真っ白に
輝いていた肌はくすんで精彩に欠けているけど、長いつきあいの間には
どんなものでも魅力や新鮮さを失って行くものだ。僕は新しい女との浮気
に夢中で、彼女の衰えを気にしなかった。
 彼女はいつもどおりそこにいる。そして僕のきまぐれで無遠慮な要求に
いやな顔をせずに応えてくれる。僕はすっかり彼女をごしごしと乱暴にこ
すって、こすりまくって浪費することに慣れていた。それで僕らは平穏だった。


 そんな関係が一年ほど続いた。彼女はよくぼんやりするようになった。私、
綺麗だったっけ? と、ある時彼女は独り言のように言った。澱んだ彼女の
目つきに不安を感じながら、僕は即座に答えた。勿論だよ。君はぴかぴか
で、他のどんな消しゴムよりも白い肌をしていた。
 僕は彼女をモノにしたばかりの頃のことを思い出して、改めて目の前の
女を見つめた。薄汚れた肌。手垢のついた身体。小さく畏縮したような体
つきはいびつに曲がっている。
 不意に申し訳ない思いにかられて、久しぶりに思いきり彼女を抱き締めた。
痩せた身体はかさついていて、このままぼろぼろと崩れてなくなりそうだっ
た。いつの間にかすべての魅力をなくしてしまった彼女が哀れで、僕は初
めて彼女をいたわることを思いついた。

 まず彼女の、センスの悪いぼろっちい服を剥いだ。現れた肉はかすかに
昔の白さを留めていて悲しかった。僕は彼女を何度もこすった。かまって
やれば、つまらないことも言わなくなるに違いない。やめてやめて、壊れて
しまう。彼女の細い抵抗を、いつもの調子でねじ伏せる。痛くったって知る
もんか。これは彼女の為なんだから。
 たくさんの消しカスで彼女の身体は半分にちびて、それでも身体はきれい
になった。ほんのりとした白い輝き。新品のツヤや張りはないけれど、そこ
には使い慣れた慕わしさがあり、僕はとても満足した。

 ところがどうしたことだろう、彼女はそれ以来、一層小さくなって口をきか
なくなったのだ。親切を無下にされたようで腹立たしく、僕も彼女を無視す
るようになった。


 そうして彼女と会わなくなってしばらくしたころ、どうしても彼女を使わなきゃ
いけない用事ができた。確かにちょっと気まずいけれど、優しいあの彼女のこ
とだ、謝れば許してくれるに決まっている。ところがいくら呼び出しても、彼女
は出てこなかった。僕は慌てて彼女を探した。思い当たるところはすべてあ
たって、友人たちにも電話した。彼らは僕に冷淡だった。僕の扱いはひどす
ぎたと僕を詰った。

 それじゃあ、なぜもっと前にそう言ってくれなかったんだ? 友人たちは当
然のように答えた、だって彼女はお前のモノじゃないか! 消しゴムは一瞬
の隙にどこかへ行ってしまうもの。目を離したときに、所有者の資格はなくな
ってたいたんだよ。


 そうして僕は彼女を探すのをやめた。汚い消しゴムの分際で僕に恥をかか
せたことをしばらくは罵っていたけれど、今では時折、甘い感傷とともに思い
出す。 優しい女だったな、なんて。


 後悔はないのかって? そうだね、多少不便になったくらいかな。
 そりゃそうだろう、だって、相手はたかが消しゴムだ。百円もあればいつ
だって、新しいやつが買えるんだから。



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