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根本的な絶望 -トーマの心臓-

 
森博嗣による『トーマの心臓』(メディアファクトリー)が出ましたね。

天才・森博嗣が、天才・萩尾望都の超名作マンガをノベライズ。
萩尾望都ファンとしては、めちゃくちゃ期待しましたさ。
『トーマの心臓』には、読者の解釈にゆだねられている部分がありますからね。


でもねえ、これが、、、おっそろしいほど、つまんなかったの!


森博嗣ならではの理知的な文体は、
オスカー主観という設定にはぴったりなんだけど。

だからこそ…なのかなあ、
それとも森さんの美学にエーリクが合致しなかったからなのかなあ、


キーパーソンであるエーリクの、対ユーリへの存在意義が希薄です。


そのせいで、物語に「芯」がない。 ふにゃふにゃなの。
原作でユーリは、エーリクによって気づきを与えられ、トーマの愛に触れて
「天の岩戸」から出てくるわけですが、その一番大事なところが
森版ではバッサリ削ぎ落とされてしまってる。

これじゃ、ユーリは自己完結ちゃんです。エーリク、いなくていいじゃん。。。


あと、根本的な問題だけど、森さん、なんで舞台を日本にしちゃったの?

キリスト教圏の物語じゃなくなっちゃったから、
ユーリが神父になろうと決意するまで追い詰められる悪魔崇拝リンチの
凄惨さ、ユーリの抱えた罪悪感の重圧が、まったく迫ってこないよ。


しかも、舞台設定や登場人物の輪郭を、ぼかすし。
意味深ぶったぼかしかた、スカイ・クロラのシリーズでは、たしかに、効果的だった。
でも、『トーマの心臓』には、まったく似合わない。
解釈から逃げたとしか思えないなあ。


いったい、いつ、「『トーマの心臓』の心臓部」に触れてくれるのか!?
と、じらされながら読み進めていったのに、
最後まで、作品の核心に触れずじまいで終わってしまった、
ハイパー肩すかし小説でした。 感動ゼロだったわ・・・。


森博嗣ほどの天才でも、そして森博嗣ほどの萩尾望都崇拝者においても、
『トーマの心臓』は、こうまで原形を留めない駄作になってしまうんだ。

なんだか、愕然としてしまいました。


だけど、これはひとり森博嗣の問題じゃなくて、根本的な男女の差の
現れなのかも。

70年代、男文化人どもが量産した萩尾望都・大島弓子への批評ってば、
あまりの的外れっぷりに笑いたくなるものばかりなんですよ。
少女読者は、もっと作品世界の深層にダイブしてる。よっぽど、わかってる。

男性は、叙情を叙情のまま捉えて、まるのまんま包み込んで
消化する才能に、どうも、決定的に恵まれてないんじゃないのかな。

解釈をせず、意味を読み解かず、ガブリと飲み込み、言葉以前のものとして
血肉にすることが不得意なのではないかしら。

こんなつまらないストーリーに変換してまで、わざわざ左脳で「解釈」を
行なわなければならないなんて、可哀相な人種だなあ。

男と女は、永遠にわかりあえないのかもしれない。


森博嗣版『トーマの心臓』を読んで、そんなことを、思いました。


(…いま夜中だから、明日もうちょっと書き直すけど、言いたいことは書きました。)

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