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2010年9月

飛騨高山に行ってきました

 
9月24日~25日と、1泊で、王子さまと
岐阜の白川郷~飛騨高山~郡上八幡を回ってきました!

ハットリくんのごとく峻険な山を飛び谷を越え(車でだけど)、
城下町をぶらぶらし、鍾乳洞を巡り歩き、清流の天然アユを食らうという、
たいへん岐阜岐阜しい(ニュアンスでわかってくれ)旅行でありましたよ。


写真をデジカメからPCに移すのが今なんだか「めんどう」という理由により
今回画像は掲載しませんが、まーキレイでした、長野~岐阜の山々は。
そんじょそこらに清らかな小川が流れまくっているという山間部のぜいたく!
ただ散歩しているだけで心洗われるような心地でした。

まったいらな筑紫平野で生まれ育ち、関東平野で暮している私にとって、
山は異世界の象徴。 美しくて、なんというか、嘘がなくて、ちょっと怖い。
とくに夜の山は今でも濃厚に山中異界という感じを受け、足がすくみます。

鍾乳洞も神秘的で、中にいるとドキドキときめきがとまらなかったなぁ。

それに比べたら飛騨の小京都と言われる高山の古い町並みなんて、
内部はほとんどぼったくり価格の飯屋と画一的なおみやげ屋ばかり、
俗っぽくて女子供だましで、ケッという感じでしたわ。
(それらの店が閉まった夜にもう一度散歩したら、なかなかな風情でした)

せっかくの重要文化財を、看板やのぼりでけばけばしくするの、
やめたらいいのになあ。 NO看板、NOポスター、NOのぼり!
外からは何の店だかわからず、「このお店、なんなのかな?」と
戸をくぐって初めてわかる…くらいが、都市景観もよいし、探検チックで
好奇心もそそられるじゃないか! 一石二鳥だと思うんだけども。

まあ、飛騨高山についての感想は、そんなもんです。

余計なことを付け加えるなら、お目当てのお店が臨時休業で、
飛び込みで入った店でとったランチの飛騨牛ステーキ定食、くそまずかったです。
王子の飛騨牛カツ定食も、負けじとくそまずい。
なんせ席に座ったら1分で出てきたからね!
作り置きのカツを30秒ほどあたためて出してきて、2500円っすよ。
一生許さねえ、あのカツ屋。


ところで、さきほど鍾乳洞も神秘的だったーと書きましたが、
今回、もともと白川郷に寄る予定はなかったのです。

なんせウェザーニュースでは、雨、雨、雨の予報。

「雨だけど、せっかく24日に王子がお休みをもらえるんだから、
どっか小旅行に行きたい、、、でも雨では観光地や渓谷めぐりはイマイチ…。
そうだ! 鍾乳洞なら雨とか関係ないじゃん! 岐阜で鍾乳洞めぐりだ!」

という私のスバラシイ思いつきにより敢行されたわけなので、
飛騨高山に宿をとってちょこっと町並みは見るけれど、
基本は「がっつり鍾乳洞ツアー」として組んでいたのね。

ところが、生来晴れ女なワタクシの運が今回も作用しまして
(バリ島もフィリピンも雨期にいったのにスコールすら降らなかったり
1か月の北欧旅行中1度も雨が降らなかったりと、多少迷惑な実績多数)、

2日間とも、まーったく雨、降らなかったの。岐阜。

で、せっかくお天気なのだから、ということで、急きょ、白川郷まで
足を伸ばしたということなのでした。

にっぽん昔話の家みたいで白川郷もかわいかったんだけど、
そんなわけで、今回の旅行で一番書きたいのは鍾乳洞について
だったりします。

鍾乳洞はいい。いろんな味わいがある。


でもまあ、けっこう長くなってきたので、
とっちらかったけど、鍾乳洞と郡上八幡については次回にしよう。そうしよう。

次回までには写真もPCに移植されてるはずだし。 たぶん。



金沢八景で釣り

金沢八景で釣り


4時起きで、金沢八景にシロギス釣りにきてます。

王子と、その友人さんたちと。

揺れもなくて、いい気持ちです。
朝の海はよいなー。
 

久々の、ヤモリちゃん話

 
最近ご無沙汰してた、ヒョウモントカゲモドキのトリアゾ話をば。


ビロウなネタなので、便関係の単語(「びん」ではなく「べん」のほうね。なんで
同じく「たより」って字なんだろう……)を聞いただけで気分が悪くなるという
お上品な御仁は読まぬよう。警告。


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本日、お風呂からあがって(私がね)、ふとトリアちゃんのケージを
見てみたらば。

砂の上に、コロンといつもどおり灰褐色のウンピがひとつ。
おお、色も形状も健康じゃのう、重畳重畳、と、そいつをつまんで捨てようとしたらば。


ん?


なんでトリアちゃんたら、いつまでも尾っぽをハンパに立てた「ウンピの姿勢」の
ままでおるんだ?

(余談ですが――まあ今回全部が余談なんですが――この姿勢は
犬猫が排便するときの姿勢と酷似しております。背中を微妙に丸めた上で、
尻尾がブツにつかないようにするというポジショニングね)


で、よくよく見てみると、肛門からウンピが1cmほどコンニチハした状態に
なってるんですよ。

おお。
こんなことになってるの初めてみた。おもしろいぞ。
そういえば最近、便秘ぎみだったな、こいつ。


なんせ爬虫類のことなんで表情はありませんが、ウンピのキレが悪く、
ハンパにコンニチハしたまま出すことも引っ込めることもままならん状況に、
心なしかトリアゾも困惑している風情です。 なんとなく顔がこわばってる感じ。

日ごろなにを考えてるかサッパリわからないおまえでも、こんな状態は
さすがに気持ち悪いんだね。
わかる。 わかるぞ、トリアゾ。 うんうん。やはり生物はみな兄弟。


と、同情しつつも、ちょっとおもしろい状態だったんで、
餌コオロギのカゴから活きのいいのをつまんで目の前でフリフリしてみたら、
ソッコーでいつもどおり食いついてきました。


食うんかい。こんな状態で。


やはり冷血動物とはわかりあえません。
人間だったら、肛門ウンピコンニチハというエマージェンシー状態で
もの食べたりできないもの。
リトル・グレイだって無理だと思うよ。
ある意味、宇宙人よりわかりあえないってことだ。


さて。
観察したりからかったりするのも飽きてきたところで、
このエマージェンシー状態をどうにかしてあげなきゃいけません。

しばし考えた結果、コオロギの足をもぐのに使っている金属ピンセットで、
ウンピの先をつかんで、引っ張り出すことにしました。

(とっさに、給餌用の竹ピンセットではなく、コオロギの足をもぐ用途の
金属ピンセットを使ったあたり、私はやっぱり根っからホモサピ。)


ちょっとでも身体にピンセットがあたると「すわ」という感じで逃げちゃうので、
目の前で左手の指をまわして気を逸らしつつ、
そーっとそーっと右手のピンセットを尻尾の下にもぐりこませ、いざ!

はっしとウンピの先っぽをつかまえ、ずるずるるーっと、
小さい身体に似合わぬ6cmくらいのブツを引きずり出すことに
成功しましたとさ。

うーん、大収穫! はじめてみた、こんな巨大ウンピ!


引きずり出すときの感触はですね、ジャージのウエストの穴に、
太めの編みヒモを通すときの、あの、ずずずーっていう手応え、
あれにソックリでありました。


ふう。 よかった、よかった。

心なしかトリアゾさんもスッキリした風情ですが、
こっちが引きずり出してる間、涼しい顔してジッとしてたようなイキモノの
考えてることは、どうにもわかりません。
私だったら他人にそんなことされるの、すごくイヤだけど。気になるけど。


まあ、いいです、相互理解をあきらめたところで、愛しいもんは、愛しいし。
(↑ダメな恋愛パターンのよう)


相変わらず一方通行の愛を注いでますよという日記でした。



ドームです

ドームです


備忘録的に。


東京ドームで巨人広島戦みてまする。


接戦で見ごたえありです。
6回から愛する松本哲也選手も出てきたし!


たのしいなやみ

 
11月中旬にまた海外に行きまする。
私の誕生日月なので、王子が連れてってくれるの。

今年は北海道にも長期で行ったし、九州旅行もしたし、
たくさん旅行できてしあわせ。


おととしまでは誕生日にはモノをくれてたけど(しかもずいぶん経ってから。
王子は記念日を気にしない…そして私もまぁどうでもいいと思うタイプ)、
去年バリ旅行をプレゼントしてもらったことをしつこく喜んでいたら、
毎年「誕生日には海外」を定番にしてくれるって。 うれしいなりー!


なにがうれしいかって、そりゃ海外旅行自体ももちろんだけど、
忙しい王子が 「5日間も会社を休んでくれる」 ってところですよ。
前後の土日をあわせて9日間!
お仕事を必死でやりくりしないと、無理なことだもの。
その心意気だけで、じゅうぶんにプレゼントなのだ。


さあて、どこに行こうかしらね。
去年宿泊したバリのホテルがあんまり素敵だったから、
またそこでもいいんだけど、ほかのアジアンリゾートにも惹かれちゃう。


どこにでも行ける、どこに行ってもいい、という自由。
でも、1箇所だけっていう不自由。

うーん、なやましい。むずがゆい。


でも、「またバリもいいね、コタキナバルにも行きたいね」と夢中で話す私を
ニコニコと受けとめてくれる王子を見ていると、「来年だってあるんだから」
という安心感につつまれます。


きれいなお菓子を詰め込んだ箱を前に、「どれを食べてもいいけれど、
1日に1個だけね」って言われた子どもは、きっとこんな気分だ。


とてもじれったくて、だけど、目も眩むほど幸福な。

甘い悩み。



帰京 -古賀春江のことなど

 
実家から東京の家へと、もどってまいりました。


上京して15年、いつのころからか実家は「両親の家」という佇まいを濃くし、
私にとっては、懐かしいけれども心底からは安らげない空間になっています。

東京は馬込の狭い自宅に帰り着いたとたん、ひさびさにホッと肩から力が抜け、
こんこんと13時間も眠りこけてしまいました。
両親の家、つまり「他人の家」で気を張っていたのだなと思い知り、
少し寂しくなる。

福岡を心から愛してはいるけれど、私の居場所はもう東京なのだと、
帰省する度に思い知らされるのでした。


筋湯温泉から阿蘇をドライブし、はげの湯温泉に至る王子との旅行は
すばらしかったです。
あそこにも行きたい、ここにも寄りたいというあれこれを精査したプランが
今回は図に当たって、深緑の阿蘇くじゅうで心洗われてきましたよ。


王子をさきに東京に帰してからは、実家で、母の愚痴を辛抱強く聞き続けたり、
友人たちと西中洲界隈を朝まで遊び歩いたり、
久留米の石橋美術館で開催中の『新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌』を
見物しに行ったりしました。

古賀春江展示、充実の内容でした。
モダンな感性は、とても1895年生まれの日本人とは思えない。
透明感あふれる水彩も、シーレのような大胆なキュビズム画も、
シュールで神経症的になっていく後期の油絵も、どれもひじょうに私好みです。

ひとつひとつの絵に、濃密な物語性がある。
古賀春江は、絵と同じタイトルの詩を自らつづっているので、
それも当然なのかもしれません。
そういえば、文章に秀でた画家・斎藤真一の絵にも、濃密な物語性が
あるよなあと思い出したり。


古賀春江の絵を見ていると、うわっと、頭の中に、「言葉の子どもたち」のような、
未分化な言葉のタネがあふれてきます。
二度と詩を書くことなんかないだろう、もう枯渇してしまっているもの、と
あきらめていたのに、あらあらら、と、自分で驚いてしまった。

無意識に近い部分に沈殿している未分化な言葉たちをゆっくりと掻き回し、
脳裏にその澱を舞い散らせてくれる 絵や、音楽や、風景に出逢うと、
ああ、生きててよかったなあと思います。


9月5日(日)まで展示があっているようなので、お近くの方はぜひ。



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