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2011年5月

長崎へ

 
弟の結婚式と母の還暦祝いとで、またまた帰省します。
今度は王子もいっしょ。


ついでに、2泊3日で長崎を旅行してきまっす。


五島列島の中通島に1泊、長崎に1泊。
最後は博多で居酒屋に寄って、終電でおうちに帰るという、
ぱんぱんに3日間遊びまくる(食べまくる)予定を立てています。


時期が梅雨ってところが、ちと残念。
ま、仕方ないです。
いくら弟には強権発動が常の姉とはいえ、結婚式ずらせ! とも言えんし。


どこに食べにいこうかなーっと、いま猛烈に下調べしております。


小学校の修学旅行で、友人2人と中学の卒業旅行で、
社会人1年目になんとなく、合計3回(うち2回はガキの頃)しか
行ったことのない長崎。
ほとんどノーアイデアの状態なのに、
王子からは「九州出身だからわかるよね!」的な任され方をされており。


帰省してジモ友と小旅行に行くっつったら、いつも大分か熊本だったからなあ。
長崎・・・長崎は、やっぱり手堅く、太田和彦師匠オススメのお店かしら。
うーんうーん、五島ぜんぜん知らないよー。
五島うどんは食べたいけど、どこがおいしーの?


なんか情報あったらぷりーずなの。



ブログ再開

近況を、ぼちぼち。


3月いっぱいは福岡の実家に帰っていました。


3月15日、祖父が危篤という報を受け、最終便に飛び乗りました。
病院に駆けつけたのは、息を引き取った直後。
ぎりぎり、間に合わなかった。

お通夜、お葬式と、泣きっぱなしで、あまり記憶がありません。

14日、15日は福島原発の不安が最初のピークを迎えたときです。
プチパニックの東京の中を、得体の知れない不安に背をなでられながら
空港まで急ぎました。祖父が呼んでいるようだった。


関東大震災の年に生まれ、東日本大震災の年に亡くなった祖父。
享年88。


熊本生まれの熊本育ち、上京し、東京高等師範学校(現在の筑波大学)を
卒業した後、福岡県内の師範学校教員を経て、福岡教育大学教授、
のちに名誉教授。
専門はスポーツ社会学で、スポーツとマスコミュニケーションの関係などを
研究していたそうです。

特技は、剣道、水泳、テニス、ピアノ、油絵。
剣道は八段をもっており、全国準優勝の腕前。
遠泳が得意で、よくどこかの島まで泳いだと言っていたけれど忘れてしまった。

運動だけでなく芸術の分野にも素養があって、個展を開くこともあった油絵は
乞われていくつかの病院のロビーに寄贈されています。
老境になって始めたとは思えない、明るい色合いの絵。

芸術はなんでも得意で、エレクトーンで軽快にジャズを弾きこなしたり、
俳句を作ったりもしていました。

そして、ハイカラなことが大好きだった。
70代になっても、溌剌とテニスとゴルフを楽しんでいましたし、
学会で出かけたヨーロッパに魅了され、退官後、祖母と何度も欧州旅行に
出かけていました。
ものすごいお洒落さんでもあって、ジャケットもシャツもパンツもほぼ
テーラーでのオーダーメード。
恋愛結婚で結ばれたおばあさんとは、それはそれは仲良しだったなあ。


耳が遠くなり、ところどころ記憶が抜け落ちるようになっても、
いつもしゃんと背筋を伸ばして静かに本を読み、最後まで卑しい人格に
堕さなかった。
一昨年におばあさんが亡くなったあとも、妻のしていた役割を
娘たちに求めるようなわがままな素振りは一切なくて。

なにせ頑健な人だったので、まだまだ元気でいられると思っていました。
しかし、少し前に肺炎をわずらって入院し、娘である母やその姉妹に
下の世話をされるようになると、歯を食いしばって眉根を寄せ、
「情けない」と恥じ入っていたそうです。
そして、そうなった途端に、まるで自らの意志であるかのように
病状を悪化させ、あっという間に亡くなりました。

教養が高く、カッコつけで、趣味人で。
自慢のおじいさんでした。
私は、あんなふうに、ぼけたあとも品のある人格でいる自信はない。


震災の報道を見て、なんというむごいことだと心を痛めている自分もいます。
けれど、それとは無関係なところにも、静かな人の生き死にはあり、
身内にとっては、やはり、どうしようもなく、悲しいのです。




おじいちゃん、ありがとう。 合掌。



***


もともとは初七日をつとめたらすぐに東京に戻る予定でした。

長居することになったきっかけは、連れて帰ったワンコが急に体調を崩し、
飛行機の貨物室に放り込める状態じゃなくなったこと。

私も震災の影響で予定されていたすべての取材がパーになったんで、
急に東京にもどる必要もなくなり。

祖父のことでしょげかえる母親への孝行半分、
余震の続く東京には積極的に帰りたくない気持ち半分で、
王子にひとり暮らしを続けてもらいました。


でも、ワンコ、連れて帰ってよかったです。

やわらかい毛玉のような身体を抱っこしたり撫でたりするとき、
悲しみにこわばった母の顔がふんわりゆるみます。
動物らしい無邪気なドジをみんなで笑い、愛らしい仕草に目を細め、
家族みんなが、このチビちゃんに救ってもらいました。

なによりも、上京して15年というもの、年間に3~4日しか
実家に帰らないという親不孝っぷりだったもので、
15日間もじっくり親と過ごせたことが貴重だったと思います。

母といっしょに夕飯の買い物にも行くことができました。
「私ずっと、こういう普通のことを娘とやりたかったの」と言われたときには、
さすがに胸が痛みましたわ。


これからは、もうちょっとひんぱんに帰省しようと思います。



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